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なぜ本を読むのか

なんでそんなに本を読むようになったのかと、最近聞かれることがありました。
確かに昔の僕は全く本を読もうとせず、まさか大人になってからこんなに本を読むとは思いもしませんでした。
全然本を読まなかった少年の僕が何をきっかけにして 本を読むようになったのか、また今なぜ本を読むのか、自分自信を振り返りながら書いていきたいと思います。

 ■読書とはかけ離れた少年時代
きっと小さい頃から本をたくさん読んできたんでしょうね、 なんて言われることがよくあります。
そんなことは全くありませんでした。むしろ小さい頃は ゲームばかりしていて、読んでいた本はゲームの攻略本か、コロコロコミックぐらいでした。お陰でゲームでは町内で一番になり、今でもボンバーマンでは誰にも負ける気がしません笑。

夏休みの宿題でよく出された読書感想文は本当に大っ嫌いで、母親に図書館に連れて行かれて1日中監禁されても、1行も感想文を書きませんでした。
本を読むのが大っ嫌いな少年は そのまま高校生になり、少し悪知恵が働くようになりました。高校1年生の夏休みに、また読書感想文の宿題があったため、適当に本を一冊借り、その本のあとがきを全部写して一瞬で宿題を終えました。そして高校1年の時に作った読書感想文を高校2年、3年の時にも使い回し、大嫌いな読書をする時間を見事に大幅カットしました。結局高校を卒業するまで、人生の中でほとんどまともな本を読んできませんでした。


■ターニングポイント
 そんな僕も大学受験だけは力を入れ、予備校にも通っていました。その予備校の講師の中に、本を読むのが大嫌いだった少年の運命を変えた人がいました。その先生は英語の先生で、福山雅治のように見た目もかっこ良く、話も面白い方でした。授業の時にたまに雑談があるのですが、その雑談にも 聞き入っていました。ある日何気なく普段通りに受けていた授業の中で、その先生が趣味の話をしました。大学に入ってからどういう趣味を持つべきか、その先生がいろいろ話をしてくれました。その中で、今も僕の心に残ってる言葉があります。

これからの人生趣味は、全力の読書にしておけ。

もともとその先生の考え方は非常にかっこ良く、僕はその考え方の背景に何があったのか興味を持っていました。そしてその先生が言うには、今の自分の考え方を作ったのは読書だと。それも並大抵の読書ではない。全力の読書だと言ってました。「本からはとてつもなく多くの考え方を学ぶことができる。全力の読書なしに今の自分は考えられない。」という言葉を今でも覚えています。

僕の中で、今まで本に対して「嫌なこと」としてしか認識していなかった固定観念が、音をたてて崩れ落ちた瞬間でした。
僕はその先生の話に感銘を受け、大学入学後に全力の読書をすると心に誓いました。


■動き出した時間
その後大学合格が決まってから、手探りで全力の読書を進めていきました。最初は何の本を読んだら良いのかわからない状態でした。 とりあえず自分が少しでも興味を持った本を読もうと思い、書店でいろいろな本を買って回りました。大学の図書館にもよく通いました。お金がなかったので、本を借りる方が財布にやさしかったのです。

本を読んでみると、「全然面白くないじゃん」「お金と時間を損した」なんてこともよくありました。ただ、自分が興味を持った本を読み進めると、なんとなく本の読み方・楽しみ方に気づいていきました。
よく、「理解する」と「わかる」は違うと言われます。「理解する」とは物事の構造が把握できた状態で、「わかる」とは 物事の一部だけが不明な状態から、明確になった状態を表します。本を読んでいくと、物事の構造が少しずつ浮き彫りになってきます。そして、自分にとってどこがわからないのかがはっきりしていきます。この状態になってくると、分からないところだけ、本から答えを探せば良いので、宝探しのようにワクワクしてきます。また、答えを探す前に自分で正解を考えてから読み進めると、クイズ感覚になってより楽しめます。
このような感覚になると、「なんで今まで自分は本を読まなかったんだろうか」「小さいころにあれだけ時間があったのに本を読まなくて損した」といった気持ちになってきます。ただ、本を読むのに遅すぎることはありません。僕の場合は、大学時代から少年時代のツケを返すための全力の読書が始まりました。

それからは1週間に10冊以上のペースで本を読み進めました。1冊読むと、関係する本も読みたくなり、次々と本を読んでいきました。大学図書館でかなり多くの本を借りていたので、どの場所のどの棚にどんな本が本があるか、ほぼ把握していました。
社会人になった今でも、1週間に10冊本を読むこともあります。大学時代に比べると、限られた時間で最大の成果を出すことが求められるようになりましたが、大学時代に全力の読書を始められたことは、今の成果にもかなりつながっていると思います。 

■読書に対する今の考え方
僕の場合、ビジネスや科学の領域で本を読むことが多かったので、ここではあくまで自分の知識の取得や考え方の研鑽のための読書について考えます。
巷では、「速読」という方法があり、関連する書籍も多く出版されていますが、僕はあまり速読を信じていません。なぜなら、ただ目を速く動かして字づらだけを追っていては頭に何も残らないからです。速読よりも必要になるのは「速解」だと思います。頭を働かせて速く理解することができれば、それだけ本が速く読めたことになるからです。
結局は、理解した状態にいかに近づけるかが重要だと思っています。

読書を通して、多くの考え方・知識をつかんでくると、考えが「成熟」してきます。「成熟」するとは、「物事を緻密に考えられること」「物事の関係性を考えられること」「多くの視点を持てること」だと思っています。例として、小学生が習う歴史科目と高校生が習う歴史科目を比較してみましょう。小学生が習う歴史の内容が1,2,3,・・・,10まであるとすると、高校生がならう歴史の内容は1, 1.1, 1.2, 1.3,・・・9.9, 10といった感じで、より「緻密」になっています。また、高校生の場合は、時間軸だけでなく、エリア軸(同時期における日本と世界)でも考えるので、日本と世界各国の「関係性」を考えることになります。そうすると、アメリカやドイツなどの「視点」から歴史を考えることができます。歴史科目を例として出しましたが、どの分野でも小学生と高校生を比較すると、より「緻密」で「関係性」を考慮し、多くの「視点」を持った考えができるようになってきます。
本を通して、考え方を成熟させていくことは、生きていく上で非常に重要なことだと思います。誰しもが日々の生活の中で問題にぶつかり、それを解決していかなければなりません。その解決を手助けするのが、自分の中で成熟した考えだと思います。

僕もさらに成熟した考え方に使づけるよう、日々全力で読書を進めていきたいと思います。


ではでは。